子供の接し方ってわからないものだ。小学生で人見知りする友達の子供は以前はリーダータイプの活発な子だった。
何かをきっかけに引っ込み思案になりうつかADHDかと心配されるくらいの変わりようだ。
もともとアスペルガーだったのではないかという友達だが素人には判断できない。普段は合わないから全然イメージと違うとかいいようがなく接し方がわからないのだ。
普通にしてねっていわれても何が普通なんだか?思春期だからキレやすいとかそういうのもある。
自分は何でもできる、常に一番を狙うという優秀な子供でもちろん友達と旦那さんも高学歴のエリート。
子供の叱り方が悪かったのかと反省してるそうだけど二人とも私から見れば十分優しいし子育てに余裕もある。
父親の存在ってなんなのかと考えてみると今時仕事一筋であまり家にいないらしい。
姑さんとは同居じゃないけど近所に住んでいていずれは同居になりそうだ。そんなストレスもあるのかもしれない。子供にとっては本当のおばあちゃんで可愛がってくれるものの母親のストレスを肌で感じ取っているのだ。不安神経症や注意欠陥障害といった病名も聞くようになった。
療育施設は充実してるし標準の成長というものを規定していることがそもそも疑問だ。
3歳児健診で成長が遅いと診断されて小学校入学前に養護学校へ見学へ行かないかと保健センターから電話があったのだ。
子供だってうつになるし鬱病じゃなくてうつな気分というのは誰にでもある。
幼稚園の先生や保育士さんといったいわゆるプロの人でも子供の接し方なんて分かっちゃいない。ただ実践あるのみだ。5歳の育児には5歳の、10歳の子育てには10才の接し方が必要なわけで毎日そうどうしたらいいか悩んでいる場合じゃないのだ。
仕事も何をしていいかわからない。子供のためにパートですますといってもほとんどやりたくない仕事しかなかった。
内職をしても結局は睡眠時間を削ってパソコンに向かうだけで健康を害するだけに終わった。
そのストレスが子供を叱ってしまうことへとつながる。叱るのではなく怒っているだけだ。
それも自分の問題で自分で解決しなければいけないことをできないのを子供のせいにしている。
要するに八つ当たり。子どもを褒めるのが一番だ。出来ないことではなく出来ることに目を向ける。
苦手なことがあったっていい。得意じゃないのがあるのは誰でもそうでしょう。当たり前のことなのに子育ての悩みはつきることがない。お母さんのストレスは自分で発散させて解消させていかないととんでもないことになる。
自分が大事。それなのに犠牲を強いられてそれを当然だと受け入れるのはもはや洗脳されているとしか言いようがない。
使用人ですか?お手伝いさんだったらまだお給料もらって仕事としてしているわけで、無料奉仕活動というかもう奴隷状態。そうじゃなくって自分の人生には責任を持っていやなことは変えていかないと。ポップアップリングフィルに資料がたまっていたけどPTAのプリントなんていらないものばかり。経費の無駄。兄弟姉妹が仲良く出来ないからってそんなに怒ることないよ。怒っても仲良くできないから。嫌いになったものをどうやったって好きにはなれない。人間関係ならなお更だ。
趣味の世界に没頭するのもいい。実用的じゃないことにもお金をかけていいじゃないか。子どものために一生懸命がんばっているあいご会の人がいた。この組織がいまいちよく分からない。自由参加なのに強制ってどういうことだろう。ご近所との人間関係も希薄になってきているから子どもがコミュニケーション能力がないなんていわれてもそうだろうよと納得してしまう。
大人になっても誰とも接触しないで生きていこうと考えていたくらいだから。人間相手の仕事はしたくない、機械相手に黙々と作業をする。そういうのが向いている人間もいるものだ。人と関わればそれだけストレスも増えるわけで一人暮らしで気ままに生きるのもその人の自由なのだ。山の中で仙人のような暮らしをすることにあこがれても現代社会ではどこでもつながっている。だから本当に孤独になることなどないのだ。