部屋の模様替え第一弾としてカーテンを取り替えようとずっと思っていた。とにかく私の趣味じゃないものがこの家には多すぎる。
そしてそれを一掃してしまうことにずっと罪悪感をおぼえていたのだが、もうそろそろ処分してもいいだろう。というか、他のメンバーは誰も気にも留めていないようだ。
先日、画廊で絵の購入を勧められ、ああ、世の中にはこういうものを値段も見ずにさっと買う人がいるんだよなあとしみじみ思った。
「これ、いただくわ」と言ってみたいものだ。単なる美術鑑賞ではなく、絵画が売り物である以上、その下に値段が表示されているのは当然のことなのですが
値段を見ると興ざめしてしまう。これ、画家の取り分はいくらなんだろう?と、つい商売として考えてしまうのだ。日常生活からちょっと離れてみたいだけなのに
どっぶりと生活感あふれる考えにひたってしまう。
新年になり、新学期が始まり、やっと自由な時間を得られたというのがホンネ。そしてゆっくり生き抜きするために絵を見ていたのだが、自宅のリビングに飾るのにどうですか
と言われても、そんな場所はないと応えるしかないのが残念だった。壁にはカレンダーや子供の作品が飾ってあり混沌としている。だいたいこの絵の雰囲気に合わない。
私自身が疲れていてこんな太陽の光はまぶしすぎるのだ。もっと落ち着いているような和室に飾る掛け軸のような絵画がほしいものだ。値段はさっぱり分からないけれども
自分が気に入ったものを飾りたいだけ。
趣味の手芸もこのこところずっとご無沙汰していて布だけが増え続けている。私が布を買って収集するのはもはや趣味の域を超えて単なるストレス解消としかなっていない。
何かを買うだけでなぜか気分がすっきりするというのは精神的にまずいんじゃないかと反省している。いらないものを大量にかいあさっているだけなのに安物買いの馬鹿なのだ。
本当にいるものだけを買おうという気になったせいか今年の新春バーゲンセールでも何も買わないで帰ってきた。洋服ももう必要ないのかもしれない。いま着るものは十分にある。
そして着ない洋服も大量に押入れの中で眠っているのだ。全てを捨てるにはなかなか気持ちがついていかないけれどさすがに年末大掃除で少しはきれいになってきた。
普段の姿勢が悪くて猫背になってきたのもなんだか気分的なものが大きいような気がしてきた。長時間悪い姿勢を続けてきせいで肩こりをはじめ身体に支障がでてきた。
コルセットをはめたほうがいいんじゃないかというくらい腰が曲がっているのが普通になってしまった。だから姿勢をよくしようとすると疲れる。頭を少しでも上に向けよう。
長時間座っている姿勢をどうにかしたらもっと良くなると思う。ダイエットにだってなる。こうしてキーボードを打つ手の位置を変えるだけで肩の疲労が全然違うものだ。
振り返ってみれば何もしないで不毛な時間を過ごしたことがもったいない。何もかも必要なものは自分で揃えられるというのは本当の幸せではないのか?それをすでに手にした今
次にするべきことは決まっている。自分の信念を曲げることから逃げていただけかもしれないが、手仕事に対する溢れるばかりの情熱のためだけに生きている人もいるのだ。
直接会う人間に影響されるのは仕方がないことだけど、もうこれ以上かかわりたくないとも思う。初対面の印象が悪すぎたがそれ以上にああやっぱりねというあきらめが大きい。
私の感覚でいえばずるくて卑怯でうそつきなのだが、彼らにとっては当たり前のことで人を騙して生きているという感覚すらない。それでいて考え方が卑屈すぎてついていけない。
やはりどこかで罪悪感を感じているのだろう。かわいそうな人たち。コンプレックスにまみれて虚栄心だけというのがミエミエなのだ。そんなこと分かりきっているのだが
ずっとこのままモヤモヤを抱えているのもこっちが参ってしまう。信頼できる人たちもいるではないか。だからそちらの関係を大切にしていけばいいだけの話だ。
今日は久しぶりにミシンを出そう。ちょっとした小物作りでもそれは私の自由な時間だ。時間がかかることをするのが贅沢な世の中なのかもしれない。ミシンの歴史に関する本を
読んだとき、あまりいい気がしなかったのは、ファッションそのものが無駄にお金を使わせるシステムとしてできあがっていたからだろう。いろんな意味で洗脳されていると感じた。
そこまでお金をかける必要があるのかと疑問に感じていたことがなんとなく解決されたように思う。だから福袋を必死で売ろうとする店員さんの大声を聞きながら平然としていられるのだ。
どんな産業でも競争のしすぎで、そもそもそんなに物は必要かと考えるようになった。この年末年始のゴミの多さは尋常ではない。みんないらないものに囲まれてアップアップしながら
生きているのだ。