ミニマリストを目指して物を捨てて買わない生活をしてみましたが脱落しました。
なんか元気が出ないんですよ、毎日が楽しくないし。
モノに執着しないと心が軽くなるような気がしてどんどん捨ててみました。

ある程度はスッキリしました。で、片付いたらまた物が欲しくなるのですがずーっと我慢してたんですね、1年くらい。収入断食の効果も出てきた今日この頃服を買わない、化粧品を買わない、それでも生活できるけど気力がなくなったってことに気付いた。
最低限の生活というほどではないにしても節約したからといってどうってことはなかった。
あるもので済ますという感覚はいいことかもしれない。エコだし。だけどつまらない。
欲しいものはほしいと手に入れるまで泣き叫ぶような子供も見て、ああ、これが本来の姿なんだと思った。
そういった欲も認めて自分として受け入れていかないと最初から何もかもあきらめて無難に過ごそうとして無駄なことばかりしている。要するに日ごろのストレス解消のためにいらないものを買ってしまい後悔することになるのだ。また、異常に高価なものを買いたくなるのも困りもの。
安物買いの銭失いよりマシかもしれないけど。家具も10年たてば買い替えたくもなる。電化製品も一斉に壊れて何かと物入りだ。そうかと思えばこわれたはずの掃除機が復活したりもする。
パソコンもそろそろやばいな。これはもう3年くらいになるかな。iPhoneは結局解約したけどたいした事なかった。
この床に積んだままの本だけはどうにかしないといけない。本棚を増やすのではなく本を処分するのだ。
好きなものを素直に欲しいといえない子供だったからきっと周りに気を使っていたんだろうな。
クリスマスプレゼントも遠慮するってどんな子供だ?本を捨てるのには罪悪感を感じてずっとできなかった。
図書館に通うようになってプラス面もあったけど最新の本はないからなあという不満が・・・
やる気が出ないようになってしまったことが一番のマイナスで後はきれいになったんだからいいじゃないかということにしておこう。コピーはもういらない。本物だけ本当に欲しいものだけを厳選していこう。
映画の中の世界感にあこがれながら哲学の卒業論文を読み返すと矛盾だらけでこっちが恥ずかしくなる。
安易な論調はそのまま脳内の不足分がうかがえる。そう、この世界は本物じゃない。現実じゃないというヤツ。
よくマンガで夢オチかよっていうのがあるけどそんな感じ。昼間眠くなるとこの感覚がいっそう強くなるからやっかいだ。白昼夢というものかもしれない。本当の自分探しという青春はとっくの昔に終わってしまって今はただ惰性で生きているのかと思うと残念になる。生きがいがないと生きていてもしょうがないものなのかもしれない。衰退をたどる業界だったのもあるけど人間関係と社長の人柄に失望したのもある。
こっちの方が大きいな。やりたくないこと。人に命令されること。これはサラリーマンとして致命的。
だったら自衛で乗り切るしかないのだ。単純作業も嫌い。わがままとしかいいようがないけど。
もう眠くてしょうがないから仕事がはかどらないし。ずっと以前のまま放置している。もう何年もだ。
手作りが趣味というのも道具がたくさんいるもので全然断捨離できなかった。材料費を考えたら買ったほうが安い。
それなのにまた新規開店の雑貨と手芸の店をネットでチェックしてるんだから。我ながら阿呆だ。
ワンランク上を目指すつもりがもっと上があったとかモデルチェンジしてないかとかでなかなか決断できない。
予算もないし自由すぎるのだ。場所もあるし設置場所にはおそらく困らないだろう。
賞状とか楯とかトロフィーとかいらないんだけどなあ。自分としては飾りたくもないし。
カーテンを替えようと思いながらあと2部屋残ったままだ。これも決断ができていないから。
家具を処分するのは面倒だしリサイクルするにしても気に食わないことがあるから使いたくない。
心の中のモヤモヤがいっぱいで気分が落ち着かないのが精神健康上悪いのだ。偶然の結果ではないにしても自由の重さがことのほか辛い。やりがいがないとか結局目的もなく生きていくのは無駄なのだ。
ただひたすら同じ内容を読むばかりで前に進めない。ちょっと変わってるくらいがちょうどいい。