「人生が豊かになる 禅、シンプル片づけ術」の片づけ論。
もう本は買わないぞと心に決めたのに、またポチッとしてしまった。自分の心がグチャグチャのままで何もやる気がおこらない。掃除なんてもう絶対したくない。洗濯も嫌いだけど、こればっかりは溜まるとどうしようもないから渋々やっていた。家事は楽しくない。やりたくないことだしやりがいもない。片付けたってどうせ散らかる。そんなことしか考えられなくなって家事をサボっていた。家族の憩いの場だなんて考えはなくなっていた。邪魔だから。汚すし、散らかすし、後片付けはしない。もうどうにでもなれって心境だ。
自分の部屋くらい自分で掃除しろよ。片付けろ。いいかげんにしろ。こっちだって忙しいんだ。
汚い部屋になれてしまって、それがまたストレスを増大させていく。気持ちの整理がつかない。いつまでも過去を引きずっている。ああ、これで1年やっと終わったというのにまだ引継ぎができない。最後の大仕事というのは大げさだけど、別にしなくてもいいじゃんという仕事が多すぎる。
それを他人から押し付けられて身動きできなくて恨んで憎んでそんな一年だった。だけどもう卒業できる。やっと卒業できるんだ。家政婦を雇って仕事もせず家事もせず子供もいない女性が離婚したいといってバッシングされていた。テレビってありえない一般人を連れてくるみたいだけど完全にやらせだろうな。全てがお芝居で現実ではない。そんな個人的な悩みは自分で解決するしかないだろう。
庭のお手入れもしていない。いつも家庭訪問の時期だけ慌てて花を植えてみたりする。
何の役にも立たないのにただの自己満足とちょっとばかり見えを張っているつもり。雑草だらけの庭はお客を呼ぶのも恥ずかしく自分の心にも雑草が生えているようだ。いらないものを捨てるという作業そのものを拒否して粗大ごみが溜まっていく。
もう何ヶ月、いや何年も前から捨てなければいけないというものがありながらずっとそのまま放置しているだ。
禅の庭というものも見てみたい。心が洗われるという感覚がなくなってしまったようだ。ずっと心が思い。体調も優れない。運動不足のままで体が腐っていきそうなくらい。動きたくない。もう何もしたくない。それなのに眠れないから始末が悪い。雨が降るから外出は延期。今日もまたぼーっと過ごすだけ。ゲームも飽きた。ネットも飽きた。食べることにも飽きて食欲がない。
きっとどこかが悪いんだろうな。見慣れた風景が面倒なことばかり思い出させる。やらなければならない脅迫観念。
本当に自分の人生を生きているのだろうか?母親の思い通りにいい子でいただけで今もなお演じ続けているのかもしれない。母親が強烈な印象で化粧が濃くマダムのようだった。娘はいつまでたってもお嬢様。何かの本で老嬢という言葉を見て愕然とした。結構いるんだよね、私の周りにはこの老嬢たちが。皆純粋無垢で本物のお嬢様なんだけどそのまま老嬢になってしまったんだ。
年月というのは残酷だとひしひしと感じてしまった。顔の造りは良くても老齢化には勝てない。お金があるから生活には困らないどころかむしろセレブとしてその人生を全うできる。趣味も教養も豊かで人から羨まれる存在に違いない。一方で母親のアグレッシブな生き方とは正反対のようにも見える。
どこか自信なさげで独立しようだなんて考えたこともないような感じ。一応仕事はしているようだが別にお給料がなくても暮らしていけそう。部屋には高価な調度品が飾られ映画の世界のようだった。お取り寄せの家具。見たこともないような豪華なカーテン。それは異次元別世界のものだった。自分の心を写す鏡だなんていらない。そんなものは見たくもないし見られたくもない。人に見せられるようなものじゃないのだけは確かだ。