小学校生活もあともう少し。少しでも多くの楽しい思い出を残して欲しい。
自分が小学生だった頃の記憶ってあまりないのだけれど、小学5年生、6年生というのは女子にとっては難しい年頃だったのは確かだ。
今ではもう誰とも付き合っていないけど。中学生、高校生の頃のお友達が一番心地良い。
小学生の頃ってただ近くにいただけで仲良しのフリをしていただけ。お互い自我と自我がぶつかり合い格付けし合う。
今でこそ学校カーストとか格差という言葉が飛び交うけど、そんな名称がなくてもそういった関係は実在していた。
そんなわけで、早く卒業してしまえという気持ちもあるのだけれど、今のところ仲の良い友人もいて別れるのが寂しいというのだから幸せなものだ。
この時期になると毎日のように卒業式の練習がある。卒業式なんて、卒業証書をもらうだけだろ?
義務教育なんだからみんなもらえるわけで大した賞をもらうような式典でもない。
それなのに先生方はやたらピリピリしていらっしゃる。
みんなそろって並ばなければならない。一斉に礼をしたり着席したり。ちょっとでもタイミングがずれると怒られる。
先生が決めたセリフを棒読み。みんなで声をそろえて大声で叫ぶ練習。何か意味があるのかな?
軍隊のようで気持ちが悪い。そもそも学校というものは軍隊をお手本にして出来たという事実を最近知った。
どうりで行進させたり並ばせたり制服を着せたりするわけだ。
私服の小学校がうらやましいというかそっちの方が自然だろう。女子は私服に悩むから制服がいいなんてもう人間終わってる。
制服を着る職業というものも経験したけど、どれもつまらないものだった。
朝、ロッカーで制服に着替える。私服でのおしゃれというものから遠ざかっていくのが分かる。
何を来て行こうというファッションの楽しみがまるでないのだ。
小学校の卒業しでは卒業証書授与に2時間程度かかった。一人ひとり体育館の舞台に上がって校長先生から卒業証書を手渡しされる。
舞台の端っこで「気を付け」の姿勢をして直立不動。だれか冗談でも言って笑わせてみろ。
一人ひとり名前を呼ばれて何か重々しい雰囲気をかもし出したいのは分かるけどたいしたことじゃない。
泣く先生もいる。泣く子供もいる。その中で保護者として感動しないのは私が冷たい人間だからなのか?
親は必死にカメラでわが子の晴れ姿を撮ろうとするけれど、この距離だとなかなか難しいな。
デジカメとハンディカムがうじゃうじゃあって気持ち悪い。と思いながらも自分も持ってきた。
着物でパイプ椅子に2時間座りっぱなしもきついわな。そんなことを考えるだけでも面倒くさかった。
6年間子供が通った小学校。この義務教育にどれほどの意味があったのか?
先生も当たり外れがあるからどこの小学校がいいとか私立だとか公立がよかったとかどうでもよくなった。
それよりもPTAから開放される喜びの方が大きかったのかもしれない。
学級委員長になると卒業式の準備が大変だとか謝恩会に強制出席とか嫌がらせかよと思うことが多かった。
校長先生の話もPTA会長の話も無意味だ。殺伐とした心に映るのは人間が多くてどうしようもないなということだ。
決められたレールの上を走らされる人生にもう慣れてしまったのか。これではいけない。
自由に生きていくためにもっと自分に正直になろう。やりたいことを素直に言えるようになろう。
ただただいい子でいなければという強迫観念があったのは事実だ。それは親に迷惑をかけたくないという健気な心だったのかもしれない。
自己紹介というと自分のことを言うのが嫌だった。人前で話すのが嫌なのではなく自分の内面を見せたくないという気持ち。
ちっちゃなプライドなのか自尊心なのかそんなものもどうでもいい。
言いたいことを言えない、書きたいことを書けない。そんな人間に育つような教育ばかりしている。
自己主張のために泣いて訴えることがあったのか?あったよね。取るに足らないことでも自分の意見を通すことも必要かもしれない。
甘えることを許されなかったと勘違いしていたけれど、実はものすごく過保護に育てられていた。もうこのへんで自立しようよ。